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ヨハネによる福音書 6章12〜21節
「わたしだ、恐れることはない」。イエス・キリストの言葉です。それは、弟子たちがイエスを陸において舟で向こう岸に渡ろうとしたときのことです。穏やかな湖面を進みます。少し風が出てきました。風は益々強くなり、波は舟の中に容赦な … Continue reading
創立記念礼拝
日時 : 9月4日 (日) 午前10時30分 泉ヶ丘教会の創立を記念して、感謝の礼拝を捧げます。
ヨハネによる福音書 6章1〜15節
多くの人が山の上にいるイエスを目指してやってきます。時間も経っています。「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」。弟子たちは思いもしませんでした。しかしイエスはそのようなお方です。私たちが思いもつか … Continue reading
ヨハネによる福音書 5章31〜47節
「聖書は、わたしについて証をするものだ」。イエスの言葉です。単純な言葉ですが、難しいです。その原因は聖書の読み方にあります。「聖書はわたしに何を語っているのか」という思いで、神の御心を求め、その答えを神に聞こうとはせず、 … Continue reading
ローマの信徒への手紙 5章1〜11節
御言葉は「和解」を語ります。多くは、人と人との関係を示す言葉です。その特徴は、お互いの権益を譲り、ぎくしゃくしていた関係を融和すること。しかしこの世界は、相手には可能な限りの譲歩を求め、自分の権益は最大限守る偽りの和解が … Continue reading
詩篇 55編2〜9節
私たち、時に重荷に耐えかねる経験をします。言い得ぬ苦しみ、誤解や中傷、厳しい病。重荷を前に神に祈ります。この災いから助け出してほしいと。重荷の中に紛れて「敵」が姿を見せます。敵の名は「神に逆らもの」。その本性は、高慢、嫉 … Continue reading
申命記 8章2〜4節
「人はパンだけで生きるのではない」。[そんなこと分かっている、栄養のバランスを考え偏りなく食べなければ]。聖書は偏食を戒めているのでしょか。「神の民」がエジプトを脱出して、荒れ野を四十年もさ迷った末にたどり着いた地で聞い … Continue reading
ローマの信徒への手紙 4章23〜25節
十字架と復活のイエスを信じキリスト者とされた者は、今までの罪が赦され、二度と罪の虜にならない?。そんなことはありません。あいかわらず日常的に罪を犯し、そのつど「赦してください」と願い祈ります。それでは十字架は何なのか。「 … Continue reading
ヨハネによる福音書 5章19〜30節
「時が来ると、墓の中にいる者は皆、人の子の声を聞く」。終りの日の善を行った人と、悪を行った人の復活です。善を行った者には永遠の命が、悪を行った者には裁きが与えられる。では善を行うとはどういうことか。言葉通り善行を積み重ね … Continue reading
詩篇 51編1〜14節
「わたしは罪を犯しました」。そのことをはっきりと分かっている者が、その罪を赦していただきたいと神に祈っています。この祈りを遠い昔の詩人の祈りと聞くか、我が事として聞くかは、私たちが自分の罪をどのように受け止めるかにかかっ … Continue reading
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