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300字メッセージは、毎週、主日礼拝(日曜日の礼拝)で語られる説教を300字程度にまとめた文章です。
アーカイブから過去のメッセージを読んで頂けます。
詩篇 55編2〜9節
私たち、時に重荷に耐えかねる経験をします。言い得ぬ苦しみ、誤解や中傷、厳しい病。重荷を前に神に祈ります。この災いから助け出してほしいと。重荷の中に紛れて「敵」が姿を見せます。敵の名は「神に逆らもの」。その本性は、高慢、嫉 … Continue reading
申命記 8章2〜4節
「人はパンだけで生きるのではない」。[そんなこと分かっている、栄養のバランスを考え偏りなく食べなければ]。聖書は偏食を戒めているのでしょか。「神の民」がエジプトを脱出して、荒れ野を四十年もさ迷った末にたどり着いた地で聞い … Continue reading
ローマの信徒への手紙 4章23〜25節
十字架と復活のイエスを信じキリスト者とされた者は、今までの罪が赦され、二度と罪の虜にならない?。そんなことはありません。あいかわらず日常的に罪を犯し、そのつど「赦してください」と願い祈ります。それでは十字架は何なのか。「 … Continue reading
ヨハネによる福音書 5章19〜30節
「時が来ると、墓の中にいる者は皆、人の子の声を聞く」。終りの日の善を行った人と、悪を行った人の復活です。善を行った者には永遠の命が、悪を行った者には裁きが与えられる。では善を行うとはどういうことか。言葉通り善行を積み重ね … Continue reading
詩篇 51編1〜14節
「わたしは罪を犯しました」。そのことをはっきりと分かっている者が、その罪を赦していただきたいと神に祈っています。この祈りを遠い昔の詩人の祈りと聞くか、我が事として聞くかは、私たちが自分の罪をどのように受け止めるかにかかっ … Continue reading
コリントの信徒への手紙 3章4〜9節
「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし成長させてくださったのは神です」。ここが一番のポイントです。植えること、水を注ぐこと、どちらもさほど重要なことではない。大事なのは「成長させてくださる神」です。このことを忘れて人 … Continue reading
ヨハネによる福音書 5章1〜18節
[ベトザタ]と呼ばれる池の回廊に、歩くこともできない人が「いつの日か癒される」という望みと、「どうせこうして人生終わるのだ」と諦めながらも三八年間、安住の場としています。その人に「良くなりたいのか」とイエス。それは彼が忘 … Continue reading
ローマの信徒への手紙 4章13〜22節
キリスト者が「信仰の父」と呼ぶアブラハム。彼は神によって義とされた、つまり正しい者と認められた。そのことを聖書は「アブラハムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた」と記します。義と認められる、救いの約束を受けるのは、 … Continue reading
詩篇 49編2〜21節
富を持ち力も持つ者たちと、貧しく弱い人たち。「どうして」。詩人は神に真実を見る目を求めます。与えられたのは「永遠」と「死」を通して見る目。人の力や富の価値を命の終りである「死」から眺めるなら何ほどものでもないということ。 … Continue reading
ローマの信徒への手紙 4章1〜12節
「信仰の父」と呼ばれるアブラハム。彼は「わたしが示す地に行きなさい」と言われる主の声に従って旅立ちます。そんなある夜、「天の星を数えてみなさい」と言われ、「あなたの子孫はこのようになる」と約束された主の言葉に『アブラムは … Continue reading
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