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300字メッセージは、毎週、主日礼拝(日曜日の礼拝)で語られる説教を300字程度にまとめた文章です。
アーカイブから過去のメッセージを読んで頂けます。
ヨハネによる福音書 4章43〜54節
ある町に一人の役人がいました。彼はイエスがカナの村にいることを知り、急いでカナに向かいます。息子が死にかかっていたのでイエスに来て癒してもらおうとしたのです。イエスの足元にひれ伏し「主よ、子供が死なないうちに、おいでくだ … Continue reading
ヨハネによる福音書 4章27〜42節
サマリアのシカルの町に住む女性が町はずれの井戸端でイエスに出会います。イエスとの会話の中からイエスが只者ではないことを悟った女性は町にとって返し、人々にそのことを熱心に告げます。彼女の言葉と態度に真剣さを感じた人々はイエ … Continue reading
ローマの信徒への手紙 3章21〜30節
「イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です」と御言葉は告げる。この義は、自分たちの行いや知恵では獲得できない。信じること。このこと以外に何もいらない。ただ信じること。十字架に架かり、私たち … Continue reading
ローマの信徒への手紙 3章9〜20節
「正しい者は一人もいない」。つまり人間は、神の前で罪人であるという点において皆平等だということです。能力とか性格、環境などにおいて人は決して平等に造られてはいない。聖書は、そのことではなく神の前での平等としての人間の罪を … Continue reading
ヨハネによる福音書 20章24〜29節
「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない」。イエスの復活を信じられない弟子トマスの言葉です。そのトマスに甦ったイエスは、手とわき腹をお見 … Continue reading
ヨハネによる福音書 20章11〜18節
十字架に死に、墓に葬られたイエスの遺体を丁寧に葬ろうと墓を訪れたマリアは、墓の中にイエスの遺体がないことに動転し、なおも暗闇の中に生きたイエスを探します。そんな彼女に「誰を捜しているのか」との声が光の中から聞こえてきます … Continue reading
ヨハネによる福音書 12章12〜19節
今日は「しゅろの主日」と呼ばれる日曜日。教会はこの一週を「受難週」と呼びます。イエスがロバの子に乗ってエルサレムに入城される。それを人々がしゅろの枝を打ち振り、歓呼の声で迎える。「我らの王、救国の王」との期待を持って熱狂 … Continue reading
ローマの信徒への手紙 3章1〜8節
「人はすべて偽り者であるとしても、神は真実な方であり続けられます」。神は、「神に知られ、神を知る者」に[祝福を与える]という約束に誠実です。一方[生涯、神の御心に従って生きる]と約束をした私たち人間は、その約束に [洗礼 … Continue reading
ヨハネによる福音書 4章16〜26節
イエスと井戸に水汲みにきた女性の会話の中心は「水」です。しかし話はかみ合っていません。話は、肉体の渇きを潤おす水から始まりますが、進むにつれ、この水は、心の渇きを癒す水、「その人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る … Continue reading
ヨハネによる福音書 4章1〜15節
今朝イエスは私たちに「生きた水」を与えると言われます。私たち、水なしでは生きていけず、渇きを覚えては水を飲みます。しかしイエスは「この水を飲む者はだれでもまた渇く」。その渇きを根本から癒すのは、「わたしが与える『生きた水 … Continue reading
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