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300字メッセージは、毎週、主日礼拝(日曜日の礼拝)で語られる説教を300字程度にまとめた文章です。
アーカイブから過去のメッセージを読んで頂けます。
マルコによる福音書 14章53〜72節
イエスは捕らえられ大祭司の屋敷で審問を受けます。そのイエスの様子が気になって弟子のペトロが密かに屋敷の中庭に潜り込みます。しかし周りの者たちに見破られ、問い質された彼は必死に「わたしは、キリストを知らない」と三度も言った … Continue reading
ヨハネによる福音書 2章13〜22節
イエスは「父」と呼ぶ神を礼拝するためエルサレム神殿に入ります。しかしその境内で見たのは両替人、牛や羊を売る商売人たちの姿です。怒号が、動物の鳴き声が響きわたる、神を礼拝する神殿とは思えない。イエスは「父の家を商売の家にす … Continue reading
マルコによる福音書 14章43〜52節
大勢の人が剣や棒を持ってイエスを捕まえに来ました。しかもその先頭に弟子の一人ユダがいます。イエスを裏切ったのです。こうして無抵抗のままイエスは逮捕され、宗教指導者たちの処に引っ張って行かれます。イエスが憎く殺したいと思っ … Continue reading
コリントの信徒への手紙 13章11〜13節
使徒パウロの手紙には「喜び」の言葉が溢れています。「兄弟たち」と呼びかけ「喜びなさい」と言います。彼が私たちに勧めることは、「喜ぶ」ということです。それは、特に信仰者にとって大事なことだからです。というよりキリストを信じ … Continue reading
使徒言行録 3章11〜16節
「聖霊降臨日」。天に昇られたイエスが約束されていた、ご自分に代わって何時も私たちの傍らにいて、私たちを守り導く聖霊が降って来た日です。この聖霊が臨むことによって弟子たちは変わりました。力強くイエスの救いを語り、病人には癒 … Continue reading
詩篇 32編1〜11節
救いとは何か、それは罪の赦しです。神への罪。しかし自分の過ち、罪を告げることは中々難しいことです。そこで人は心の内を沈黙でもって防御します。しかし沈黙で心の平安は得られません。詩人は「わたしは黙し続けて、絶え間ない呻きに … Continue reading
コリントの信徒への手紙II 13章5〜10節
キリストの伝道者パウロは悔しかった。力の限り救いの福音を語ってきたのに、いつまで経っても理解しない人たち。そればかりか、「パウロは間違っている。彼の教えは可笑しい」とまで言いだす者がいる。私たちもまた相手のことを思い、話 … Continue reading
マルコによる福音書 14章32〜42節
十字架に架けられる少し前、イエスは「何でもおできになる」神に祈られた。「この杯をわたしから取りのけてください」と。杯はイエスの十字架での死を意味します。「神の御子だろう、どうしてそんな弱音を吐くのか」と思わないことです。 … Continue reading
詩篇 30編2〜13節
人は時に重大な試練、死と直接対面するような経験をすることがあります。今朝の詩編の作者は、そのように病のために墓穴に追い詰められながらも、自分が今生きていることに意味を見出そうとしています。今までの生き様を振り返えり、改め … Continue reading
コリントの信徒への手紙II 13章1〜4節
キリストの力は弱さと強さの中にある。神の愛による十字架は、真に弱いもののように見えるが、実は弱くはない。キリストは、弱さの極みから力強く復活された。十字架も復活も、私たちの救いのため。人の目には、十字架では弱さが目立ち、 … Continue reading
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