Monthly Archives: 5月 2015
コリントの信徒への手紙 13章11〜13節
使徒パウロの手紙には「喜び」の言葉が溢れています。「兄弟たち」と呼びかけ「喜びなさい」と言います。彼が私たちに勧めることは、「喜ぶ」ということです。それは、特に信仰者にとって大事なことだからです。というよりキリストを信じ … Continue reading
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使徒言行録 3章11〜16節
「聖霊降臨日」。天に昇られたイエスが約束されていた、ご自分に代わって何時も私たちの傍らにいて、私たちを守り導く聖霊が降って来た日です。この聖霊が臨むことによって弟子たちは変わりました。力強くイエスの救いを語り、病人には癒 … Continue reading
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詩篇 32編1〜11節
救いとは何か、それは罪の赦しです。神への罪。しかし自分の過ち、罪を告げることは中々難しいことです。そこで人は心の内を沈黙でもって防御します。しかし沈黙で心の平安は得られません。詩人は「わたしは黙し続けて、絶え間ない呻きに … Continue reading
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コリントの信徒への手紙II 13章5〜10節
キリストの伝道者パウロは悔しかった。力の限り救いの福音を語ってきたのに、いつまで経っても理解しない人たち。そればかりか、「パウロは間違っている。彼の教えは可笑しい」とまで言いだす者がいる。私たちもまた相手のことを思い、話 … Continue reading
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マルコによる福音書 14章32〜42節
十字架に架けられる少し前、イエスは「何でもおできになる」神に祈られた。「この杯をわたしから取りのけてください」と。杯はイエスの十字架での死を意味します。「神の御子だろう、どうしてそんな弱音を吐くのか」と思わないことです。 … Continue reading
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