イエスは捕らえられ大祭司の屋敷で審問を受けます。そのイエスの様子が気になって弟子のペトロが密かに屋敷の中庭に潜り込みます。しかし周りの者たちに見破られ、問い質された彼は必死に「わたしは、キリストを知らない」と三度も言ったのです。周囲は穏やかな時ばかりではありません、心は揺れます。仲間内では、どんな強い信仰も語ることはできます。しかし決して好意的ではない周囲の雰囲気の中で言葉を濁すことはないだろうか。ペトロだけの問題ではない、私たちも同じではないか。しかし、そんな弱いペトロ、私たちに復活のキリストは「わたしの兄弟」と赦しの言葉をかけられる。私たち大きな誓はできません、でも誰に阻まれても話さなくてはならないことだけは、はっきりと告白できる者でありたい。
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