人の生の空しさ、はかなさ、無常を訴える詩人。しかしそれは厭世的ではない。神を信頼しての祈りである。無力さを知る者、苦難の試練を受けている者は神に頼るしか他ない。そして待つ。神は祈りを聞き、最も良い答えを与えられると信じて待つ。どれほどの時を経ても待つ。
詩人は「わたしの行く末、生涯はどれ程のものか」を神に問うが、答えは神のみが知ること。神への信頼の祈りながら、なぜか重苦しく感じるこの詩。旧約の人が持つ「死の壁、死の後には何もない」という思想の中に詩人もいる。
しかし私たちは、その先にキリストの死と復活による全き救いが示されていると受け止める。キリストの十字架と復活を通して初めて人は罪と死の力からの解放が与えられるということを。
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