十字架に死に、墓に葬られたイエスの遺体を丁寧に葬ろうと墓を訪れたマリアは、墓の中にイエスの遺体がないことに動転し、なおも暗闇の中に生きたイエスを探します。そんな彼女に「誰を捜しているのか」との声が光の中から聞こえてきます。ところが彼女は、「何を捜しているのか」と聞き違え、「イエスのお体を」と応えています。間違ってはいけない。私たちが捜さなければならないのは、「何を」ではなく「誰を」です。私たちに命を与え、喜びと望みを与え、愛する心を養い育てるためには、「何を」ではなく、「誰を」見つけるかが大事です。多くの人は自らの幸せを「何」に求めます。しかし死で終わってしまうのではない眞の人生を与えるのは「何か」ではなく「誰か」です。その「誰か」こそ復活されたイエス・キリストです。
最近のコメント