「聖書は、わたしについて証をするものだ」。イエスの言葉です。単純な言葉ですが、難しいです。その原因は聖書の読み方にあります。「聖書はわたしに何を語っているのか」という思いで、神の御心を求め、その答えを神に聞こうとはせず、自分で答えを作ります。心を、神に向けないで自分の方に向け、自分の立場で聖書を読み解釈する。自分を神に導くものとしてではなく、自分の考えの正しさを証明するために利用する。だとすると、真の神は自分の知識や能力で理解できる程度の神になり、自分の手のひらに載るだけの小さな神になってしまう。都合の悪いときには握ってしまえば見えなくなってしまう神となります。聖書は私たちに永遠の生命を与えるものではなく、生命を与えるイエス・キリストを指し示し証するものです。
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