前任の松永政和牧師のメッセージアーカイブになります。
300字メッセージは、毎週、主日礼拝(日曜日の礼拝)で語られる説教を300字程度にまとめた文章です。
ヨハネによる福音書 8章48〜59節
新しい年の始まり、今年も様々なことが、それぞれの身に起こることでありましょう。しかしどのような時にも主イエスに安心してお任せすればよいのです。その全てを委ねてよい方、「イエスとはだれか」。それはイエスに出会った人々誰もの … Continue reading
マタイによる福音書 1章18〜25節 2章13〜15節
イエス降誕物語に登場しますマリアとヨセフ。マリアの信仰は良く知られています。ではヨセフの信仰はどうか。ひと言でいえば、「黙って主のお言葉に従い続ける信仰」。そのことに揺るぎはありません。なぜなら主のお言葉に誤りはないと確 … Continue reading
ルカによる福音書 1章26〜38節、2章1〜7節
今は「待降節」です。そこで聖書が記すキリスト降誕の物語を少し違った角度から見てみます。処で、預言されているキリスト誕生の条件は何か。それは①「おとめが身籠って男の子を産む」。②ダビデ王の末裔である。そして③ダビデの出身地 … Continue reading
ヨハネによる福音書 8章31〜47節
「わたしの言葉に留まっていなさい」。私たちはイエスの言葉を聞いています。それは一時的に感情を高める言葉ではなく、有益な人生訓となる言葉でもありません。それは永遠の言葉、私たちを救いと命に導く神の言葉です。この言葉を聞いた … Continue reading
詩篇 118編 1〜29節
「恵み深い主に感謝せよ」と感謝の言葉で始まる詩は、なぜなら「主はわたしの味方」。だから「わたしは誰を恐れよう」。わたしの傍らに主がいてくださるのだから恐れることはないと告げます。このように神を味方と確信する者には、もう一 … Continue reading
ヨハネによる福音書 8章12〜20節
「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」。御言葉は光と闇を対比して考えさせます。光に照らされていながらも暗さを宿している心。「わたしの人生、何から何まで真っ暗やみ」と思い込んでいる人。しか … Continue reading
ヨハネによる福音書 8章1〜11節
「姦淫を犯した者は石で打ち殺す」。このような律法がありました。指導者たちが該当する女性を引っ張って来てイエスに問います。「殺すか、殺さないか」。この問いにイエスは、「打ち殺せ」でも、「殺すな」でもなく、「石を投げてもよい … Continue reading
ヨハネによる福音書 7章37〜52節
イエスは流れる水の傍らで語られた。「渇いている人は誰でも、わたしのところに来て飲みなさい」。ここで言われる「渇いている人」とは、ただ喉が渇いている人のことではない。何か心が満たされない。わたしの人生はこれで良いのか。その … Continue reading
詩篇 63編2〜12節
一人の詩人が詠います。「あなたの翼の陰でわたしは喜び歌います」と。別の詩人は、「災いの過ぎ去るまで、あなたの翼の陰を避け所とします」と詠っています。親鳥が、雛鳥をその翼で覆っている様子です。獰猛な敵が襲ってきても、火に包 … Continue reading
ヨハネによる福音書 7章25〜36節
イエスに逮捕状が出ています。神殿を中心に活動する宗教専門家たちによってです。罪状は「イエスは自分を神と等しい者と宣伝した涜神罪」。そのような危ない場所にイエスは姿を現します。そのとき誰一人イエスを捕らえる者はいなかった。 … Continue reading